モヤの正体を突き止めたいと思っていたけどその前にまず、モヤとは何か
バターは"モヤ"をどういうものと捉えているのかについて研究を深めたいと思います
モヤ=靄(もや)
霧(きり)とはちょっとニュアンスが違いそう…
これらは気象用語ですね
違いを調べてみたら、見通せる距離によって使い分けられてて靄の方が霧よりは見通しがだいぶいいらしい(ふむふむ)
外にいるときに靄(もや)がかかってる場所にいても特段生活に支障はないわけだよな
スノーボードに例えると…快晴の方が圧倒的に気持ちいいけど、靄がかかってる程度ならば、まぁそんな時もあるよね、となる。(吹雪とかになっちゃうと命の危険が高まる…目の前の崖に気づかないとかね)
天気は移り変わるものだから時間と共に晴れるかもだし
常時、靄がなく晴れてなきゃ死ぬなんてこともない
じゃあこの靄はあってもいいのかも知れない?
もしくは、靄がない場所に移動するか…
つまり
靄が自然に消えるのを待つか、靄がある景色を楽しむか、天気予報を見て靄が無いところに移動するか?(移動先に靄がかかってない確証はないけど)
大自然を前にしたら人間にできることはたぶんそのくらいなんだろう
靄ってたしかに快晴より見通し悪いし、心が晴れやかに…とはならないかも知れない
けどそういう天気も確かにあるわけであって…
たぶん、今までバターは、モヤをなんかすごく悪いもので、モヤがある状態は幸せじゃない!と決めてしまってたが…(だってモヤモヤするっていかにもフラストレーション溜めてる感じするもんなー)
とりあえずの結論としては
モヤ自体を悪としたくない(常にモヤの中にいたいわけではなく)
"モヤがあるから今のバターは不幸だ"という思考は手放してしまおう
でした〜
次回につづく(かも)笑